妖怪人間ベム#4

夏目さんに正体バレタ━(゚∀゚)━!
バレるまでのところで既に怪しさたっぷりの家族だとは思うのだけど、それでもとりあえず距離をとらずに接してくれる夏目一家なら、ひょっとしてそのまま受け入れてくれるんじゃないかなんて甘いことを考えていたけれどそれは無さそう。腰抜かしてたし。ベロが妖怪の姿に変身してもなお優しい態度でおばちゃんに接するところで、2度目はおばちゃんも「あなたベロ君なのね」とか言って改心するかと思いきや鉈みたいなの振り下ろそうとしたからね。あれは驚いた。あそこで「ベロ君!」と涙ながらにハグしたら安いお涙頂戴になってしまうからストーリーとしてはいいのかも知れないけれど観てる側の心は非常に痛みました。えええええそこまで徹底する!?みたいな。

ものすごーくウエットな感想を書いてしまえば、とにかく子どもが泣くのも笑うのも、そこにいろんな想い出が乗っかりすぎてつらいです。よくヤ〇コメとかで「誰にも感情移入できません」と書いている人や「世の中あんな悪い人ばかりではない」と書いている人を見かけるけど、全部が全部共感できるなんてないんだと思う。自分の中にある感情の一部が共鳴して何か心が動く。その共鳴している感情が、ふだんから意識している部分にあるものならばまだいい。ドラマや映画のすごいところは、時々自分が意識していない、あるいは閉じ込めたはずの感情に揺さぶりをかけてくるときだ。そういう時はとてもしんどい。揺さぶり起こされた感情を自分のなかでなんとか処理しないといけないから。ここまでの揺さぶりにはそう出会えるものではない。脚本のチカラや演者のチカラが大いに関わってくるし。ベムの場合そこに「かめへの気持ち」まで加わるからなんか毎週大変なことになってます。

それでも何度も観たいなあと思えるのは、妖怪3人の愛情があたたかいからなんだと思う。ベムの穏やかで包み込むような優しさ、ベラの一見ぶっきらぼうだけどストレートで爽快な物言い、ベロの屈託なく純粋な笑顔。それぞれが、自分が今までに受けてきた愛情、与えてきた愛情を大きく象徴しているんだと思う。だれのこころにもあるはずの愛情。それがとてもあたたかに伝わってくる。

とりあえず「おかえり」からのハグは声を押し殺して嗚咽するレベルでした。・゚・(ノД`)・゚・。かぁめ。・゚・(ノД`)・゚・。

妖怪人間ベム#3

ベムを見ているとあたりまえすぎて普段は気づきもしないことに気づかされる。人生を終えるということもそのひとつ。終えることもできない日々を埋めていくことは想像を絶することだろう。それが闇の中で行われるならなおさら、だ。人間になりたいという希望。人間から迫害されるという絶望。そんなことをもう何年、何十年も繰り返し、ひょっとしたら何百年も繰り返さなければならないと思いながら生きる。その哀しみを、ベムの瞳が、姿が、静かに湛えている。
明日の約束をすること、誰かの思い出の中に生きること、誰かと関係を結ぶこと…そんな「人間にとっての当たり前」を少しずつ知り、自分が誰かのために「生きた」のだということを知る。感情が揺さぶられて妖怪の姿になったベムたちの雄叫びが心に響く。いつになったら喜びを、わかちあいたいひとたちと共にわかちあえるんだろう。その雄叫びが夏目刑事に聞こえたのは*1、喜ばしいことなのかな。伝えたいことがあって、伝えたいひとがいて、けれどその姿は人間ではない。でも、傍には同じように感情をわかちあえるものがいる―――

こうやって感じたことを言葉にしながら「ひと」「仲間」「姿」「本当」いろんな概念がゆらぐ。ベムたち3人は仲間じゃないし家族でもない。絆のかたちも家族のそれとはちょっと違う気がするし。人間の姿が本当なのか妖怪の姿が本当なのか、いやそもそも本当ってなんなの、人間対妖怪という単純な構図じゃない気もするし、と考え出したらキリがない。かめのベム抜きにしてもものすごく考えちゃうドラマだな。そんなドラマにかめが選ばれたことがだからとても嬉しい。最初はさんざん「最初から人間の役にしてくれよ」なんて言って本当に反省してる。

最初に台本をもらって「この回はこういう感情を表現しなければ」というテーマをそこから読み取って、その感情に自分のテンションを近づけていくという作業がお芝居に必要だとして。かめが今日は最初からものすごく美しくて、儚いのにどこか力強く見えたのは、今回のテーマを背負ってのことだったのかな。でもドラマはシーンの順番に撮影するんじゃないから、その美しさはかめが「ベム」を重ねたことによる自然発光みたいな感じなのかな。後者だとしたらこの先どんどん美しく儚く力強くなるってわけで…考えただけで胸がつまりそうです(*´д`*)

*1:ここで、昔教科書で読んだ「山月記」を思い出した。虎の姿になってしまった若者が友人に自分の苦しみを語り、最後に友に向かって遠くから咆哮するくだりがあって。それがすごく好きでノートに水墨画みたいな挿絵を描いて提出したことがある。先生も情感たっぷりに教えてくれて、今思えば非常にウエットな現代文の授業だったw→参考:山月記

妖怪人間ベム#2

人間が感情をあらわす言葉を口にするたびに疑問形で繰り返すベムは、その人の感情をせめているのではなくて単にその感情の源を知りたいんだろう。ベムの口調からはいつもそんな感じがする。ふだんは一番感情的にならないベムは、実は心の底にそんな「感情のたね」をいくつも持っていて、人間がもつあらゆる感情とその「たね」を一つずつ確認して符合させているのかもしれない。でもそうすれば、いつかは醜い感情にもぶつかってしまい、ベムはものすごく苦しむことになるんじゃなかろうか。

まぁ苦しむかめなしさんは大好物ですけどね(*´д`*)(*´д`*)(*´д`*)

今回はベムの父性がたくさん描かれていて、福ベロを包み込むようなかめの手がとっても印象深い。脱皮したカニを見て「大人になれるのかな」って言ったベロを撫でてあげた手が優しすぎて涙が出ました。でも私の涙じゃ人間にはなれないよ。謎の男に緑の液体を投げられてないからねw

どうもあの男の液体に人間になる秘密があるようです。あの液体が悪意のかたまりだったとして、悪意を注入すれば人間になれるなんてとんだ皮肉な話だけど、あの男はそれも込みで壮大な実験をしているのかも知れないな。

うれしい

ベムすっごい評判いいんですけどおおおおおおおおお\(^o^)/


うれしいです。本当にうれしいです。自分が納得したドラマだからそれでいいんだ、とは思ってたけど評判いいのはいいことだ。視聴率=本質ではないとか思うけど今まで数字のことでは散々な言われっぷりだったから、ここは素直に喜びます。なによりかめたん本人が手ごたえを感じて嬉しいってコメントしてるのを見て「そうだよね、彼は努力の人だけど、努力が目に見えてカタチになることを追い求める人でもあるんだよね」と思いました。ホームランだってあんなに打ちたそうだったもん。よかったねかめ。10人掛けのソファで思いっきりゴロゴロして喜んでるのかな^^


あとは数字に惑わされず、たとえば数字が落ちたとしてもそれを修正するためのものづくりはせず、作りたいモノをひたすら作ってくれたら。製作現場の人にはその信念は揺ぎ無くありそうだけどTVの人には大丈夫かな。まあでもにってろさんのドラマはひどい数字でもカンフル剤的なゲストとか呼ばずにひどいまま突っ走ることが多いから←*1

*1:褒めてるよ!他局だと無意味な同Gゲストとかおかしなドタバタとか、いや何とは言わんけどw

妖怪人間ベム#1

アニメは子どもの頃見てました。見ていたけれどいまいち記憶がないのは私が相当の怖がりだったせいです。妖怪の姿が怖かったので指の間から覗くようにして見てた。だからストーリーの細かな記憶はないんだけど、ただ、物哀しさだけは記憶の彼方に残っているのです。

番宣のビジュアルを見て、最初は嘆いてたドラマ化にももう期待しかなかったんだけど、実際見てみると期待以上!気持ち悪さは本当のアニメよりずいぶん緩和されてる。そして物哀しさと不条理、(特に)ベムのそれでも人間を信じたいと言う純粋さと、人間の心が抱える闇、そういう部分がしっかり伝わることで「ドラマ」に仕上がってると思う。

ベムのステッキ。こつん、としたら人間の悪意が渦巻く場所が浮かび上がるのかな。だとしたらベムの眼に映った都会は悪意に満ち満ちていた。その悪意に立ち向かおうとするベムの眼が、哀しく、でも決意に満ちている。私の好きなかめの眼差し。

ベラとベロが人間っぽい受け答えを練習するシーンで木の上から飛び降りて着地し、歩き出すと言う一連の動作が「超・俺亀梨!」だった。ふだんのドラマならそういうのがすごく気になるけど今回はそんなこと気にならないの。それはたぶん、超俺亀梨のかめが背負ってるものとベムが背負ってるものが似通っているからなんじゃないかな。言うなれば或る存在に対する壮絶なまでの決意。ベムは、「妖怪人間」であることを壮絶な決意で受け入れていながら、人間になることを模索しているように見える。「助けを必要とする人間を見過ごすことはできない、でなければ俺たちはただの妖怪になってしまう」というこのセリフ、これがすごく印象的。かめも「亀梨和也」であることを壮絶な決意で引き受けているな、といつも思う。
お芝居のことはよくわかりません。けれど、演じる者のなかにあるものと、役がもつもの、その両者の「骨」みたいなところが一致したとき、その役はとても魅力的になるような気がする。ベムはまさに、骨の部分が共鳴してる。山ぴーのジョーを観たときも思った。あれはジョーじゃない、なんて評も見たけど、骨の共鳴がすごくて私にはとても魅力的なジョーだったのです。

話が逸れた。今回のオリジナルキャラの夏目さん。この人は本当に味方でいてくれるんだろうか。この人もとても純粋で、どちらかと言えばベムたち寄りの心の持ち主っぽい。その夏目さんが差し出してくれた傘。雨の日には哀しい思い出しかなかったベムなのに、自分に差し出してくれた傘のせいで夏目の肩が濡れてるのに気づいてベムに涙が流れるのが、とても柔らかな涙だった。そんな夏目がピンチになった時のベラの一言「誰を助けるのが正しいやら。何が正義で、何が悪かなんて、誰にも決められやしないじゃないか」が深い。最近「えええええそこ責めてその人が謝ったら終わり!?」みたいなドラマを見ただけにw「そもそも誰を助けようっていうんだい」という問いかけの答えは、実は3人がいつも探しているものなのかもな。

子どもの頃は妖怪になった3人が近づいて人間が怖がるのを見て「そんな姿で来たら怖いに決まってる」としか思えなかったけど、今日「恐れるのはその人間にも守りたい人がいるからだ」ってことがわかった。ベムたちが妖怪の姿で何かを、おそらく「違う、俺たちはただ人間を助けたい」ってことを訴えようとするのが苦しそうで。これは子どもの時には「そんな姿で近づかないで、人間に戻って言えばいいのに!」って思ってたんだけど、それじゃベムたちには意味がないのかも知れない。ただ、怖がられているベムも、人間が自分を恐れるのは守りたいものがあるからだってことに気づいてる。ここに一筋の希望がある。恐れられて迫害されているだけでは、ただ哀しいだけだもの。

とはいえ最後のシーソーでの微笑みを見ていると、ベムはこのままベラとベロの3人で穏やかな時間を過ごせればいいって思ってるのかな、とも思うし。早く来週のが観たーい!

an・an

5月は何も書かなかった。ついったーで細切れに吐き出すともう書いた気分になるのかもしれない。でもそれだけじゃない。吐き出したいけどカタチとしては残しておきたくない、そんな気持ちのかたまりが多かったような気がする。あと「可愛い」が日常になりすぎて。可愛いかめを記録するのが食事日記と大差ないくらいの感覚。可愛いについては、そう、そんな感じに飽食気味だった。

そこへ今回のan・an

ネタバレで見た写真では「あらまた可愛い『飼いたくなる少年』なの?もうこっち系はゴチソウサマなんだけど」なんて思ってたけどいざ手にとって眺めて読んだらゴチソウサマじゃなかった。もう一度イタダキマスっていうのかな。野球の仕事で毎回見せてくれているかわいいかわいいかめじゃなくて、「可愛いを究極まで作りこんだかめ」だった。よかった。やっぱりかめは間違いない。

「ユルい感じも出せたら新鮮じゃない?」ってかめが言うように、かめの思うユルさとナチュラルさをこれでもか、と盛ってきた数々の写真は、食い入るように見つめるよりもちょっと離して見た方がいい。かめが盛り盛りにすればするほど、その隙間から本心が漏れてゾクゾクする。たとえばどの写真も潤んだ目で緩く口元を開いて誘っている顔をしているのに、絶対に近寄れないだろうと思う。プライベートをとても大事に守っているかめが持っている「絶対に、触るな」という亀梨和也の部分、それがちらりと見えるから、近寄ってはいけないと思う。たぶん私の欲しいものは尖った水晶の奥にある。そこには辿り着けないし近寄ってはいけないんだけど、そんなことわかっているんだけど、でもあまりにも透明だから触れられるような気がして手を伸ばしてしまう。そしてその尖った先で手を傷つける。この甘美な感じこそがアイドルには大事なんだ。一番好きなのは枕を抱いた写真。これが一番、触ってはいけない感じがして。

語っている内容も今までみたいに背伸びこそしていないけれど、今度は背伸びしない自分をいっぱい頭の中で考えている感じ。愛しいね。一生懸命話しているかめを想像するだけで愛しい。けれどきっとインタビュアーの前に座ってるかめは室内なのにグラサンでめちゃくちゃカッコイイんだと思う。見えているものと想像で補うものと、そして決して見えない触れられない真実、どうやって折りたたんでもこの3つがひとつにまとまらないのが、私にとってのかめの魅力なんだなあとまたもや思った。

プロ野球開幕

いよいよプロ野球が開幕しました。ベースボールスペシャルサポーターってなんぞ、というかまあごーいんぐの延長みたいなもんだろうとは思っていたけれど。延長というよりもごーいんぐで1年間やってきたことを現場でも活かす、という感じでした。こういう野球少年目線の感想や疑問って今後の野球視聴者を獲得する上ですごく大事だと思う!かめのこのお仕事が野球好きの少年をさらに野球好きにするきっかけになればいいなあと思います。アウェー感もなくむしろオジサマ達に可愛がられ、すぐるはがっつり味方だしw時折映る放送席のかめはきりっとキメてるのに空気がほわんほわんした小学生みたいです。よかったなあ、こんな仕事ができるなんて。これからコンサートとの兼ね合いで大変な時期もくるだろうけど楽しそうに野球のお仕事をしているかめを見られるのはやっぱり幸せです。