妖怪人間ベム#3

ベムを見ているとあたりまえすぎて普段は気づきもしないことに気づかされる。人生を終えるということもそのひとつ。終えることもできない日々を埋めていくことは想像を絶することだろう。それが闇の中で行われるならなおさら、だ。人間になりたいという希望。人間から迫害されるという絶望。そんなことをもう何年、何十年も繰り返し、ひょっとしたら何百年も繰り返さなければならないと思いながら生きる。その哀しみを、ベムの瞳が、姿が、静かに湛えている。
明日の約束をすること、誰かの思い出の中に生きること、誰かと関係を結ぶこと…そんな「人間にとっての当たり前」を少しずつ知り、自分が誰かのために「生きた」のだということを知る。感情が揺さぶられて妖怪の姿になったベムたちの雄叫びが心に響く。いつになったら喜びを、わかちあいたいひとたちと共にわかちあえるんだろう。その雄叫びが夏目刑事に聞こえたのは*1、喜ばしいことなのかな。伝えたいことがあって、伝えたいひとがいて、けれどその姿は人間ではない。でも、傍には同じように感情をわかちあえるものがいる―――

こうやって感じたことを言葉にしながら「ひと」「仲間」「姿」「本当」いろんな概念がゆらぐ。ベムたち3人は仲間じゃないし家族でもない。絆のかたちも家族のそれとはちょっと違う気がするし。人間の姿が本当なのか妖怪の姿が本当なのか、いやそもそも本当ってなんなの、人間対妖怪という単純な構図じゃない気もするし、と考え出したらキリがない。かめのベム抜きにしてもものすごく考えちゃうドラマだな。そんなドラマにかめが選ばれたことがだからとても嬉しい。最初はさんざん「最初から人間の役にしてくれよ」なんて言って本当に反省してる。

最初に台本をもらって「この回はこういう感情を表現しなければ」というテーマをそこから読み取って、その感情に自分のテンションを近づけていくという作業がお芝居に必要だとして。かめが今日は最初からものすごく美しくて、儚いのにどこか力強く見えたのは、今回のテーマを背負ってのことだったのかな。でもドラマはシーンの順番に撮影するんじゃないから、その美しさはかめが「ベム」を重ねたことによる自然発光みたいな感じなのかな。後者だとしたらこの先どんどん美しく儚く力強くなるってわけで…考えただけで胸がつまりそうです(*´д`*)

*1:ここで、昔教科書で読んだ「山月記」を思い出した。虎の姿になってしまった若者が友人に自分の苦しみを語り、最後に友に向かって遠くから咆哮するくだりがあって。それがすごく好きでノートに水墨画みたいな挿絵を描いて提出したことがある。先生も情感たっぷりに教えてくれて、今思えば非常にウエットな現代文の授業だったw→参考:山月記