PHOENIX

強くありたい時はだいたい2013→14カウコンのPHOENIXを再生する。私はカツンには強くあってほしいといつも願う。2回目のメンバー減、しかもカツンらしさの権化のような聖が抜けた。カツンはどうなるんだろう。私は4人のカツンも好きだと思えるのだろうか。でもカツンなら間違いないはず。そんな不安と期待の後初のリリースだったミニアルバムで、リリース直後私のTLを賑わせていたのがこの曲だった。仕事か何かでアルバムを取り込んだのが1日ほど遅れ、もどかしい気持ちでこの曲を待った。(アルバムはまず順番に聴くタイプ)イントロだけで身体の中に一瞬で震えが走った。

カウコンでのライブ初披露。Jr.による儀式めいたプロローグ、センターの花道を走る焔。火の粉の煌きのようなイントロ。カツン担誰もが待っていたPHOENIXが今目の前に現れる。なのに声を上げる人はほとんどいなかったように思う。私も「ひっ」という、まるでこの世のものではないものを見たような息を飲む小さな声しか上げられなかった。それほど、あの不死鳥は私達を圧倒していた。今DVDを見返しても(多少の音声の加工はされているかもしれないが)不死鳥が翼を広げるのを、ただただ誰もが息を飲んで待っているのがわかる。悲鳴にも似た歓声が起こったのは、焔を割って、4人が姿を現した瞬間だった。

輝く黒地に金糸の衣装。こんなの着こなせるのカツンしかいない。WE DO NOT FEAR 、まさに何者をも畏れぬその姿。黄金の輝きを靡かせて4人は降臨した。何度も蘇ってみせるよの言葉を信じられる。歌割がまたいい。
「OH 今さら 傷つくことはもうないさ 無限の希望と 祈りを纏って 天(そら)に昇ってゆく使命 妨げるものなど すべて排除して 見失う事など無いように 強さ持って 自分信じるだけ」の、中丸→田口→上田→亀、これ考えた人はすごくカツンのことわかってくれてる。感情を排除したような中丸くんの「傷つくことはもうない」、天から遣わされた田口くんの「無限の希望と祈り、そして使命」鬼気迫る上田くんの「排除」、首筋から胸に伝うかめの「強さ」…4人の表現力、歌唱の物語性に溜飲を下げた。特に上田くんは蜷川さんの舞台の稽古中ということもあってすごかった。不死鳥の物語は水と焔がぶつかり合ってクライマックスを迎える。この曲の間、私は息をしていたのかな。それくらい圧巻だった。そして蘇ったカツンは間違いなく私の知らない強さを秘めた、もっともっと見ていたいと思うカツンだった。

幸運なことに2日間ともこのPHOENIXを真正面から見ることができた。天井席でなかったことが悔やまれるほど。こんなパフォーマンスはもう見られないだろうし、これ以上のPHOENIXは現れないだろうからもう他のライブではやらなくてもいい、くらいに思った。カウコンの2日後、勝詣に当選していたけどあの新幹線事故で会場に行けなかった。今までなら泣いてただろうけどこの時だけはまぁいいかと思えた。それくらいこのPHOENIXに満足していたから。以来自分の強さを呼び覚ましたい時、強いカツンに平伏したい時…DVD再生回数も一番だしiPod再生回数も一番。そして今は、翅を休めた不死鳥が再び目を覚ますその日が楽しみでならない。

KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR “10Ks!” 雑感(その3)

2016.5.1 東京
<ああ明日がこわい。最後じゃない、っておもってはいるけど気持ちの上では最後にも近い。>
とうとうその日がきた。開演前に、またこのはてダで知り合えたみなさんと会えて、やっぱり東京楽しい!充電期間みんなどーする?なんて明るく過ごしていた。ライブとは関係ないけど、はてダのおかげですごく素敵な人と知り合えた。年齢も仕事もぜんぜん違うのにKAT-TUNが好きというただその一点からはじまった縁を大切にしたい。KAT-TUNのこと好きでよかったな、と思う理由のひとつとしても大きい。
そうやって笑って過ごして、じゃあまたねとそれぞれのゲートに別れて、そして迎える開演時間。あきらかに会場の熱気が違った。揃わなくても自分がリーダー!くらいの気持ちで「パン!パン!KAT-TUN!」を叫んだ。もう今日は声の限り全部出し切るって決めたから。円陣の声がびっくりするくらい大きく響き渡った瞬間もうダメだった。胸がぐわーっと揺さぶられた。そして真紅のペンライトの波が大きくうねる。涙が止まらなくなった。水飛沫の向こうに見えるはずの3人の姿が霞んで見えない。リアフェのペンライトの動きとか、ああこれを3人もとても愛おしくながめているのだろうかとか思って見るからもう嗚咽に近い。ようやく笑えたのはPERFECTでかめがお決まりの「SAY!」をしてくれたとき。本当に大好きだ、って気持ちがあふれて止まらなかった。
<今日はもう、客電が落ちた時の真っ赤なペンライトの海を見た瞬間から泣いてた。最後の出航だーっていう上田くんの声で号泣した。本当に綺麗なリアフェのペンライトの動きにも泣いた。>
じんくんがいなくなって歌えるんだろうか、と思っていた大好きなWill Be All Rightが、3人の素敵なアカペラから始まる。ここでまた涙腺が決壊する。MCを挟んでハルカナ約束。セットが開いて光の中に立つ3人を見ては涙。泣いてばかりではきちんと姿が見られないと思い何度も気持ちを確かに!って思いなおすけどまた泣く、の繰り返しだった。でも泣いてはいたけれど今日の中丸くんがめちゃくちゃかっこよくて、私いままで中丸くんのことKAT-TUNのメンバーとしては好きだしその才能に平伏してもいるけれど男性としてこんなにかっこいいと思ったの初めてだななんてこともきちんと(?)考えられてはいる。4Uはまともに歌えなかったけどその後の特効祭りはしっかり胸に刻み付けた。あんなにドームを縦横無尽に操れるのはKAT-TUNしかいない。君のユメぼくのユメで、かめがムビステに乗りながら、とてもとても大切そうにステージを見つめていた。自分のソロパートを歌い終わってスポットが移った時、一瞬の暗転の中*1で目頭をぎゅっと抑えたのは汗だったのかな。
<君のユメぼくのユメで、リフターでセンステまで行く時に、かめがずーっとステージを見つめてて、それが本当にステージを愛おしむようなまなざしで、いつも「ステージや機材に感謝〜!」って言うの心からの気持ちなんだろうなって感極まった。>

その後の挨拶のことはもうたくさんの人がこまかくその様子を残してくれているだろうから詳しくは割愛するとして、声をあげてわんわん泣いた。悲しいからじゃない。だってKAT-TUNが終わってしまうわけではないから。でも涙が止まらない。ファンには笑っていてほしい、というたっちゃんの言葉にもこたえられない。ふだん感情をそんなに言葉や態度にしない彼が今日は思いっきり感情をぶちまけでくることが「今日という日の意味」である気がして。中丸くんが唇をぎゅ、ぎゅって噛みながら言葉をつないでいくのも、ああきっと今にも泣きだしそうなんだなというのが伝わる。やっぱり今日という日はKAT-TUNと私たちにとって特別なんだ。そして、かめの挨拶。私が見た4度の中でいちばん力強く感じられた。「K・亀梨和也」って言った後、「A・赤西仁」って言うまでの間の心の揺れが痛いほど伝わった気がした。声が揺れたような気がした。6人のイニシャルと名前を力強くことばにしてくれたことが本当に嬉しかったし、自分の中の10年がそこでぶわーっと一気にあふれた。その後挨拶を続けて、どこだったかで一瞬フッて笑ったの、最高にかっこよかった。私が大好きな、ずっとずっと大好きなかめだった。中丸くんがたっちゃんに駆け寄って、それを包み込むようにかめも二人の元へ行って。終わりじゃないのになんで終わりみたいなの、って思うけど、きっとこれは今日という日がかけがえのないものだからだなって思ってまたまた泣いた。
<大切なものがある人がいて、それをどれだけ大切に思っていたかが目に見えて伝わって、こんなに大切なものがあるのにそれはそれ自分たちで守っていかなければならなくて、その決意をそれぞれが、それぞれの場所で守り続けていくんだなぁってことが私の心をうごかす。誰かの決意の尊さが心を打つ。>
本当にあの時間はあの場所にいたみんなにとって特別で、大切な時間だったんだと思う。アンコールを待たずに泣きながら階段を上がっていく人が何人かいた。つらいだろうな、あなたの分まで見届けるなんておこがましいけどそれくらいの気持ちで私も最後まで笑わないとな、とか思った。アンコール1曲目のGREATEST JOURNEYで「笑えー!!!」って言われて顔を笑顔にむりやりしたけど、「いやまじでとんでもない旅ばっかりしてきたよね」と思ったらごめんなさい、また泣いた。この曲はPVもすっごく楽しいのに泣いちゃうのだ。それはそこにたくさんの愛が詰まってるからなんだと思う。だからこれは嬉しい涙なんだろうな。PRECIOUS ONEは最高に優しいプレワンで、デビューコンで泣いていた中丸くんのことも思い出したり。いつの間にかドーム全体から歌声が響いて、気付いたかめがマイクを外して嬉しそうにしているのが見えた。優しい顔だったなぁ。びっくりするくらい頑張ったアンコールのリアフェは最高に気持ちいいリアフェだったし、中丸くんに「ハイフンのだめなところだよ!」ってよく怒られたしつこい「もう一回!」に「しょうがねぇなー」って答えてくれる曲が何になるのかドキドキした。個人的には「ハルカナ約束」をもう一回、って思ったけどイントロが流れてかめが思いっきりかっこよく「ピースフルデイズ!」って言った。最後に何度も6つのイニシャルを叫ぶ。それが今の、充電に入る前のKAT-TUNが選んだ答えなんだろう。

最高に幸せで、最高にアツくて、最高に心に残るライブだった。「愛してる 愛してる それ以外見つからない」まさにその一言に尽きる。いくつか前の記事で「もう一度、チカラを、圧倒的なチカラを」と私は望んだけど、それは今でもじゅうぶん。じゃあなんで充電が必要なのかな、大好きな人たちをなんの不安もなく大好きだけで見ていられないのはなんでなんだとかぐるぐる考えた。ぐるぐる考えて、記憶に残るライブのことを反芻して、わけがわからなくなったけど、一瞬ものすごく疲れたな、って思った。
<充電ってなんなんだよ、ってまだ思ってるけど、今日までの10年本当にいろんなことがあって、いろんなことに傷ついて、でもその倍以上チカラをもらってきたなぁって思いながら3人の言葉を聞いたら涙が止まらなかったし、ずっとそうやって自分も大きな穴を押さえながら来たんだなぁって気がついた。>
人も携帯電話も時には充電が大事…わかるよ中丸くん。でも本当によくわかったのは帰ってからパンフをじっくり読み返した時だったりする。パンフレットの言葉はそれくらい強い気持ちでKAT-TUNを守るんだということを教えてくれた。Twitterには今日もこの充電期間を楽しもうっていうファンのお遊びが溢れてる。あの時間を共に過ごせて幸せだった。10年を共に過ごせて幸せだった。そして充電期間を共に過ごせることが、今とても幸せです。大好きな人たちに、心からの「10Ks!」を。

*1:この時に限らず、暗転の中のかめの表情を見るのが大好き。ああ、かめだなぁって思うところがいっぱい詰まってるから。

KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR “10Ks!” 雑感(その2)

2016.4.29 東京

東京での時間はやっぱりどこか特別でわくわくするけれど、この東京の日々が終われば、しばらくは約束のない時間になる。本当に自分の気持ちの置きどころがよくわからなかった。この日は天井席。ライブのすべてを楽しみつくす気持ちでドームに入った。
錨をイメージして配置されたアリーナの美しさ。船のセットの力強さ。今まで気づかなかったけど、王冠のように頂にあるKAT-TUNのロゴは、大きな船の行方を見守る見張り台のようにも見える。私たちが心待ちにしている「復活の日」はそこから遥か遠くに見えているんだろうか。それとも案外近くにその形が捉えられているんだろうか。そんなことを思いながらもうすぐ3人が現れるステージを見つめていた。客電が落ちる。あ、明るいな。そうだドームの屋根は光を通すんだったな。薄明るさの中で紅いペンライトが一斉に灯る。最終日に中丸くんが言っていたけど、私が絶対忘れない光景はこれだと思う。
<今日は天井席で本当にたくさんのことが見えたし、たぶん充電期間に思い出すカツンコンの景色は今日見た景色になるんだろうなと思った。あれだけの特効やレーザーに埋もれない3人の個性ってやっぱりすごいと思う。>
レポで見た通り最初から水!!!荒波を割って進む船のイメージぴったりすぎる。かっこよすぎて今日も泣く。自分たちの曲を知り尽くしているからこそできる演出。前の座席に座っていたカップルの男性が初めての人で「すげー!」「やべー!」を連発していた。特にリアフェのペンラの揃いっぷり。KAT-TUNのライブでは滅多に一緒の手振りをすることがないから*1一層引き立つ気がする。とにかくライブが始まってしまえば「楽しい!」しかない。TEN-Gのコーナー以降は若干ふわふわしたままであんまりよく覚えていないけど。ポスター当たったら死んじゃう、とかいつも冗談で言ってたけどほんまに当たった。まわりの人たちがすごく温かく拍手して一緒に喜んでくださった。ありがとうございます。
相変わらず3人の挨拶を聞くのは苦しい。ドキドキする。何か決定的な一言が放たれるのではないかといつも覚悟しているけれど。中丸くんの「Webや会報をチェックしていただいて」で一気に「アイドルにお金を落とす私」であることを実感して可笑しくなる。ありがとう。
<今まで抜けていった誰のことも腹が立つなんてなかったしそれぞれの場所で頑張ってくれたらいいと思ってきたけど、今日かめが「情けなくて」って言ったのを聞いて、そんな思いにさせて…!って悔しくなった。しばく、って思った。その時は。>
<でもそのすぐ後にかめの口から、絞り出すように出てきた6人の名前を聞いて、やっぱり誰のことも恨んだりできないんだって思った。かめが大切にしてきた6人は、自分にとっても大切にしてきた6人だったから。あの時も、あの時も。>
はてダで知り合ったご縁でライブ後の生肉というこれぞKAT-TUNな取り合わせも実現したし、東京ドームホテルに宿を取ったおかげで窓からうちわを向けるというのも実現した。*2いつもと同じ、いやそれ以上に幸せなライブ後だったな。
<ドームホテルの人が「今回のバッグはこれなんですね」って話しかけてきてくださって、「あぁそうか、ずっと見てこられたんですよね」って返したら「ええ。もう10年か、あっという間ですね」っておっしゃった。ここにもあるカツンの10年。とてもとても愛おしい10年。>
私にとっては
<ドンチューもネバアゲも脳内でフロム千葉もフェイクも補完できるってことがカツンとの10年なんだろうな>

*1:他のグループだと結構あって、きちんと覚えきれない私はだいたいそれっぽくふるまうけど、盛大に右と左を間違ったりして恥ずかしい

*2:でも、上層階だとドームからは全然見えない。今度はでっかいメッセージ貼ろうって思ったよ。

KAT-TUN 10TH ANNIVERSARY LIVE TOUR “10Ks!” 雑感

レポでもなんでもない私の気持ちの遷移。東京までの2公演。《 》はその日のツイートの引用。


2016.4.3 名古屋
始まるまでは、3人のKAT-TUNを見るのが怖い気持ちの方が強かった。田口くんの不在を感じることで、ようやく忘れかけていたあと2人の不在も感じてしまいそうで。そんな不安はオープニングの「GOLD」で吹き飛んだ。やっぱり彼らはここから出航するんだ。選曲もそうだし、強い強い3人の立ち姿に痺れた。泣いたのはかっこよすぎたからだ。
《オープニングがGOLD、しかも衣装が超強めのやつで、そこから息つく間もなく畳み掛けてくる3人から、この3人とファンで今日出航するという決意の強さをひしひし感じたなぁ。私らみんな強いカツンが大好きってほんとに彼らが一番よくわかってる!》
ずっと息つく間もなく歌い続ける3人に着いて行くのは途方もなく楽しかったし、バクステ脇のほぼセンターのアリーナから見る景色は圧巻。スライドショーという個人的な弱点のせいで4Uではポロポロ涙がこぼれたけど、すぐにTRAGEDYからのUNLOCKという特効祭りでまたしてもやられた。どこまでもかっこいいKAT-TUNはやっぱり私の誇りだな!って思った。
《君のユメぼくのユメの時に白のロングコート、ちょっとだけ嫌な予感がした。トラウマすごいwでも光の中にいる白のロングコート纏った3人が気高くて美しくて、少しだけは安心したのだけど。その後の挨拶、今あるものは何もせずにそのまま存在するわけではないということなのかなって思わされた。》
君ユメを泣かずに乗り越えたけど最後の挨拶でちょっと驚いた。かめがあんなふうに言葉を詰まらせるなんて思っていなかったから。でもそんな、小さな棘で突いた痛みは表立っては残らず、本当にかっこいいKAT-TUNとの楽しい時間だった、という印象が強い。

2016.4.20 大阪
名古屋から大阪までは意外と間があって、早くKAT-TUNに会いたいと思ってた。大阪はアリーナAブロだったので特効やレーザーに飲み込まれる感じだった。ライブはやっぱりいつも楽しくて、大阪のアリーナちょっとノリ悪い?くらいの気持ちだった。かめの葉っぱおばけ〜ってのすごく可愛くて幼稚園児みたいなかめにデレデレしたけど、この日のかめの挨拶の言葉は刺さったなぁ。
KAT-TUNを好きな自分で「いる」んだなぁ…そう思って4Uの写真たちを思い出すとまた泣ける。あの写真たち、この時いろいろあって辛かったろうね、って顔してるのがいくつかあって。そんな時KAT-TUNを好きな自分でいようと頑張ってたのかと思うと泣けるよ。東京ドームできっと号泣する。》
かめがそうやって自分の置きどころをいつも探って、大切なものをその身体全てで守ろうとする人だということはわかっていたけど、言葉にされると本当に胸が苦しかった。そうやってかめが大切にしてきたKAT-TUNが大好きなんだ。
《ピスフルの時「最後だぞー思いっきり叫べー」って言われるけど、思いっきり叫ぶことでわたしの大好きなKAT-TUNが守れるのならこの声が枯れるまで何度もどれだけでも叫ぼうと思う。思って叫ぶ。それだけが全てそれだけを望もう、って歌詞がぴったり重なって泣きそうになる。守りたい、それだけ。》
本当に。声の限りその名を叫べば好きな人たちが守れるのなら、私はどれだけだって叫びたいと思うよ。
大阪から東京までの日々はあっというま。ライブは一つひとつ終わっていく。寂しさばかりが募っていくのはどうしてなんだろう。東京までの時間で、ようやく10KsのMV集を見た。
《そして思うのは自分はなんてグループを好きになってしまってたんだ…ってこと。この個性のぶつかり合い、それでいて貫かれる世界観、このひとたちまだハタチそこそこですよね…?時折見せるあどけなさ、笑顔とのギャップにもやられる。この先とんでもない運命が待っていると知っているから余計に愛しい》
どんな瞬間のKAT-TUNも愛おしい。今がKAT-TUNそのもの。どこかでなかなか受け入れられずにいた3人のKAT-TUNをくっきりと受け入れよう、この3人に全ての気持ちを注ぐことが10年全部に気持ちを注ぐことだって思えた。
《東京に向けてネイルチェンジ。がっつり担当カラーでいくかメンバー全員の色を入れるか…で迷ってだけどネイリストさんが「やっぱり今回は全員の色を使わないと!」と一緒に考えてくださった(;∀;)じゃにおたに理解あるネイリストさん(;∀;) https://t.co/wyrp3gzM30
《ちなみに前回はさりげなく6色にこだわったんだ。でも名古屋、大阪と見てきて3人のグループへの思い、覚悟が本当に伝わったから、3人であるということをしっかり受け止めないとな、って思った。どんな時のカツンも大切だけど、今目の前にいるその姿こそが「今」なんだ。》
東京で、充電前の3人の姿をしっかりこの眼に焼き付けよう、そう思ったんだった。

ざっくり言うと

正直なところ3人のカツンで存続するかどうか半々だな、と思ってたのでコンサートがあると聞いてまずそこにホッとした。しかもドームツアー。カツンらしくてしょぼくれてなくていいなと思った。リクエストでベスト盤の収録曲を決めるというのも私達の食指が動くのわかってるぅぅ!てな感じで嬉しかったし。だからメールはびっくりした。これだけ喜ばせておいておしまいなの!?って。卒業アルバム作るために写真選ばせないでよ!くらいの勢いで哀しくびっくりした。けど動画見たらそれは違うんだな、と思った次第。そりゃ寂しさはある。だって働いても働いてもライブがないとか辛すぎるでしょ。個人仕事って、始まったらテンション上がるけど、始まるまでいつも乗れないのですよね。滝つの時もそれが辛すぎたもん。けど滝つコンって言われたらとたんに沸騰するから。そう、そういう耐性は滝つ担の時に出来てると言えるな。待ってます。その時は相討ちの覚悟でな!

今はただひたすらドームツアーが楽しみです。こんなに強いのにまだ充電するの!?くらいの感じで来てくれると信じてる。

思いのまま、つれづれに

あれはいつのことだったかな。

V6のコンサートの様子が朝のワイドショーで流れてた。スタイリッシュで大人のステージ。けれどMCでは子どもみたいにはしゃいでて。素直にいいなぁ、と思った。カツンもこんな大人のグループになっていくのかなぁとも思った。思ったけど、でもカツンにはこんなスタイリッシュな大人のステージを望んではいないかもな、なんて思った。呑気に思っていたくらいだから、まだ6人がいて、6人の10年後、20年後を疑わなかった頃のことだろう。

まさか3人になるなんて、ゆめゆめ思わなかった頃のことだ。

6→5→4と形を変えるたび、泣いたり不安になったりしたけれど、それ以上にカツンが好きになった。想像以上の景色を見せてくれる彼らが私の誇り。けれど大好きなのは、私が一番見たいものはいつだって「圧倒的なカツン」だ。その圧倒的な強さは、ずっと前面に押し出されてきた時代を経て、今は、パフォーマンスの山場として用意されるものになっているんじゃないかということに


今、言葉にしてみてはっきり気付いた。
たぶんずっと気付いてはいたけれど。


パフォーマンスとしての強さ、には不満はない。しかもそれは常に想像以上のエネルギーで与えられたから。PHOENIX然りRAY然り。しかし漏れ出さんばかりの強さは次第に薄まっていた。漏れ出す強さ、それを若さと呼ぶのかもしれない。そのかわり洗練された大人の魅力が4人からは感じられた。樽から豪快に浴びせられる密造酒か、きちんと設えられたバーで飲むお洒落なカクテルか。どちらも私を酔わせてくれるには違いない。でもちょっと、この設えられた空間に安心しきっていたのかもしれない。

本当に欲しいのは荒々しいまでの強さだ。
今、こういうことになって、なんというか素直にそう思う。
喪失感なんてとっくに感じていたんだ。

カツンがカツンである以上、無敵の未来は失われない。ごつごつに尖った6人が集まって作ってきた時間はずっと大きな足場として存在している。いろんな人が言うように、カツンの強さは失われない。けれど、今、充電期間が必要なのもわかる。この先見せてくれるものが小手先のパフォーマンスではないことは、今までの彼らを見ていて信じられる。だからこそもう一度、チカラを、圧倒的なチカラを蓄えて、私の前に降臨してほしい。私が勝手に造り上げたカツンの像を荒々しく粉砕してほしい。無敵の未来のために、そう容易く見えない未来のために必要な時間だ。そう思えば、待つことは哀しみではなくなる。

必ずまた私たちの前に現れると信じているから。

底知れぬポテンシャル


 世界の果てに自分の気持ちを吐き出す場所を残しておいてよかった。

 6人から5人になったところで、涙は枯れたのかと思った。それくらい、今回のことは最初は何も受け止められず、実感もなかった。「ずっとカツンでいる」って、そういってステージを後にしていった聖がやめるっていうこと、それを裏切られたとはひとつも思わなかった。「ずっとカツンでいる」ことを聖に捨てさせたものはなんなのかと考えたら、私には、「カツンでいる場所」を与えなかった事務所の仕事配分のミスだとしか思えなかった。だから事務所に腹が立った。やめさせたことにではなく、カツンという場所をうまく与えなかったことに。でもそれが「勝手な活動をしているから」与えなかったのだと言われれば、卵が先か鶏が先かみたいな話になってしまう。結局、何がとか誰がとか、そんなものをいくら勘ぐったところで目の前にある事実は変わらないのだ。
 涙が出たのは、カツンのデビュー前の曲を聴いたとき。じんくんが抜けた時は、その穴を自分の中でぎゅうぎゅうと塞いだ。そしてようやく、無理に塞がなくても、あるがままに受け入れられるようになっていた。けど、今回はそれよりもっと危機的だと思った。聖が抜けることは、それはつまり私の好きなカツンの攻撃性がごそっと抜けるってこと。最近の曲に今までほどは食いつけなかったのは、「カツンが歌う必要性」があまり感じられなかったから。Rapの有無だけというわけではないけれど、聖の抜けたところはどうなっていくのか、そんなカツンをいいなと思って受け止められるのか、そんな不安が涙に変わる。次の涙は、かめがスッキリで話していると知ったとき。TVは今もまだ見ていない。Twitterに流れてきたかめの表情だけでもう無理だった。そして今日。4人それぞれが、それぞれの思いを表情に出した。そこで私は、なかまるくんに救われた。
 怒っていてくれたことに。
 空いたところは埋められない、と言ってくれたことに。
 まったく違うものを見せてくれる、と言ってくれたことに。

 いつだって目の前にいる彼らが導いてくれる。KAT-TUNはもう、頭文字を合わせたグループではない。けれど、頭文字6人分の今日までの思いを背負ったグループで、昨日までと変わらず、何をやらかしてくれるかわからない、私をわくわくさせるグループだ。

 なんだか、新規担になった気分である。これから出会っていくものすべてが、ひとつひとつ「好きになるかどうか」という出会いであって、惰性とか、年月とか、情とかいっさい無し。つまらなければ他所へ行く。不満があれば喜ばない。けれど今は、楽しみしかない。その根底にある6人分の思いは、底知れぬポテンシャルを持っている。