思いのまま、つれづれに

あれはいつのことだったかな。

V6のコンサートの様子が朝のワイドショーで流れてた。スタイリッシュで大人のステージ。けれどMCでは子どもみたいにはしゃいでて。素直にいいなぁ、と思った。カツンもこんな大人のグループになっていくのかなぁとも思った。思ったけど、でもカツンにはこんなスタイリッシュな大人のステージを望んではいないかもな、なんて思った。呑気に思っていたくらいだから、まだ6人がいて、6人の10年後、20年後を疑わなかった頃のことだろう。

まさか3人になるなんて、ゆめゆめ思わなかった頃のことだ。

6→5→4と形を変えるたび、泣いたり不安になったりしたけれど、それ以上にカツンが好きになった。想像以上の景色を見せてくれる彼らが私の誇り。けれど大好きなのは、私が一番見たいものはいつだって「圧倒的なカツン」だ。その圧倒的な強さは、ずっと前面に押し出されてきた時代を経て、今は、パフォーマンスの山場として用意されるものになっているんじゃないかということに


今、言葉にしてみてはっきり気付いた。
たぶんずっと気付いてはいたけれど。


パフォーマンスとしての強さ、には不満はない。しかもそれは常に想像以上のエネルギーで与えられたから。PHOENIX然りRAY然り。しかし漏れ出さんばかりの強さは次第に薄まっていた。漏れ出す強さ、それを若さと呼ぶのかもしれない。そのかわり洗練された大人の魅力が4人からは感じられた。樽から豪快に浴びせられる密造酒か、きちんと設えられたバーで飲むお洒落なカクテルか。どちらも私を酔わせてくれるには違いない。でもちょっと、この設えられた空間に安心しきっていたのかもしれない。

本当に欲しいのは荒々しいまでの強さだ。
今、こういうことになって、なんというか素直にそう思う。
喪失感なんてとっくに感じていたんだ。

カツンがカツンである以上、無敵の未来は失われない。ごつごつに尖った6人が集まって作ってきた時間はずっと大きな足場として存在している。いろんな人が言うように、カツンの強さは失われない。けれど、今、充電期間が必要なのもわかる。この先見せてくれるものが小手先のパフォーマンスではないことは、今までの彼らを見ていて信じられる。だからこそもう一度、チカラを、圧倒的なチカラを蓄えて、私の前に降臨してほしい。私が勝手に造り上げたカツンの像を荒々しく粉砕してほしい。無敵の未来のために、そう容易く見えない未来のために必要な時間だ。そう思えば、待つことは哀しみではなくなる。

必ずまた私たちの前に現れると信じているから。