底知れぬポテンシャル


 世界の果てに自分の気持ちを吐き出す場所を残しておいてよかった。

 6人から5人になったところで、涙は枯れたのかと思った。それくらい、今回のことは最初は何も受け止められず、実感もなかった。「ずっとカツンでいる」って、そういってステージを後にしていった聖がやめるっていうこと、それを裏切られたとはひとつも思わなかった。「ずっとカツンでいる」ことを聖に捨てさせたものはなんなのかと考えたら、私には、「カツンでいる場所」を与えなかった事務所の仕事配分のミスだとしか思えなかった。だから事務所に腹が立った。やめさせたことにではなく、カツンという場所をうまく与えなかったことに。でもそれが「勝手な活動をしているから」与えなかったのだと言われれば、卵が先か鶏が先かみたいな話になってしまう。結局、何がとか誰がとか、そんなものをいくら勘ぐったところで目の前にある事実は変わらないのだ。
 涙が出たのは、カツンのデビュー前の曲を聴いたとき。じんくんが抜けた時は、その穴を自分の中でぎゅうぎゅうと塞いだ。そしてようやく、無理に塞がなくても、あるがままに受け入れられるようになっていた。けど、今回はそれよりもっと危機的だと思った。聖が抜けることは、それはつまり私の好きなカツンの攻撃性がごそっと抜けるってこと。最近の曲に今までほどは食いつけなかったのは、「カツンが歌う必要性」があまり感じられなかったから。Rapの有無だけというわけではないけれど、聖の抜けたところはどうなっていくのか、そんなカツンをいいなと思って受け止められるのか、そんな不安が涙に変わる。次の涙は、かめがスッキリで話していると知ったとき。TVは今もまだ見ていない。Twitterに流れてきたかめの表情だけでもう無理だった。そして今日。4人それぞれが、それぞれの思いを表情に出した。そこで私は、なかまるくんに救われた。
 怒っていてくれたことに。
 空いたところは埋められない、と言ってくれたことに。
 まったく違うものを見せてくれる、と言ってくれたことに。

 いつだって目の前にいる彼らが導いてくれる。KAT-TUNはもう、頭文字を合わせたグループではない。けれど、頭文字6人分の今日までの思いを背負ったグループで、昨日までと変わらず、何をやらかしてくれるかわからない、私をわくわくさせるグループだ。

 なんだか、新規担になった気分である。これから出会っていくものすべてが、ひとつひとつ「好きになるかどうか」という出会いであって、惰性とか、年月とか、情とかいっさい無し。つまらなければ他所へ行く。不満があれば喜ばない。けれど今は、楽しみしかない。その根底にある6人分の思いは、底知れぬポテンシャルを持っている。