妖怪人間ベム#1

アニメは子どもの頃見てました。見ていたけれどいまいち記憶がないのは私が相当の怖がりだったせいです。妖怪の姿が怖かったので指の間から覗くようにして見てた。だからストーリーの細かな記憶はないんだけど、ただ、物哀しさだけは記憶の彼方に残っているのです。

番宣のビジュアルを見て、最初は嘆いてたドラマ化にももう期待しかなかったんだけど、実際見てみると期待以上!気持ち悪さは本当のアニメよりずいぶん緩和されてる。そして物哀しさと不条理、(特に)ベムのそれでも人間を信じたいと言う純粋さと、人間の心が抱える闇、そういう部分がしっかり伝わることで「ドラマ」に仕上がってると思う。

ベムのステッキ。こつん、としたら人間の悪意が渦巻く場所が浮かび上がるのかな。だとしたらベムの眼に映った都会は悪意に満ち満ちていた。その悪意に立ち向かおうとするベムの眼が、哀しく、でも決意に満ちている。私の好きなかめの眼差し。

ベラとベロが人間っぽい受け答えを練習するシーンで木の上から飛び降りて着地し、歩き出すと言う一連の動作が「超・俺亀梨!」だった。ふだんのドラマならそういうのがすごく気になるけど今回はそんなこと気にならないの。それはたぶん、超俺亀梨のかめが背負ってるものとベムが背負ってるものが似通っているからなんじゃないかな。言うなれば或る存在に対する壮絶なまでの決意。ベムは、「妖怪人間」であることを壮絶な決意で受け入れていながら、人間になることを模索しているように見える。「助けを必要とする人間を見過ごすことはできない、でなければ俺たちはただの妖怪になってしまう」というこのセリフ、これがすごく印象的。かめも「亀梨和也」であることを壮絶な決意で引き受けているな、といつも思う。
お芝居のことはよくわかりません。けれど、演じる者のなかにあるものと、役がもつもの、その両者の「骨」みたいなところが一致したとき、その役はとても魅力的になるような気がする。ベムはまさに、骨の部分が共鳴してる。山ぴーのジョーを観たときも思った。あれはジョーじゃない、なんて評も見たけど、骨の共鳴がすごくて私にはとても魅力的なジョーだったのです。

話が逸れた。今回のオリジナルキャラの夏目さん。この人は本当に味方でいてくれるんだろうか。この人もとても純粋で、どちらかと言えばベムたち寄りの心の持ち主っぽい。その夏目さんが差し出してくれた傘。雨の日には哀しい思い出しかなかったベムなのに、自分に差し出してくれた傘のせいで夏目の肩が濡れてるのに気づいてベムに涙が流れるのが、とても柔らかな涙だった。そんな夏目がピンチになった時のベラの一言「誰を助けるのが正しいやら。何が正義で、何が悪かなんて、誰にも決められやしないじゃないか」が深い。最近「えええええそこ責めてその人が謝ったら終わり!?」みたいなドラマを見ただけにw「そもそも誰を助けようっていうんだい」という問いかけの答えは、実は3人がいつも探しているものなのかもな。

子どもの頃は妖怪になった3人が近づいて人間が怖がるのを見て「そんな姿で来たら怖いに決まってる」としか思えなかったけど、今日「恐れるのはその人間にも守りたい人がいるからだ」ってことがわかった。ベムたちが妖怪の姿で何かを、おそらく「違う、俺たちはただ人間を助けたい」ってことを訴えようとするのが苦しそうで。これは子どもの時には「そんな姿で近づかないで、人間に戻って言えばいいのに!」って思ってたんだけど、それじゃベムたちには意味がないのかも知れない。ただ、怖がられているベムも、人間が自分を恐れるのは守りたいものがあるからだってことに気づいてる。ここに一筋の希望がある。恐れられて迫害されているだけでは、ただ哀しいだけだもの。

とはいえ最後のシーソーでの微笑みを見ていると、ベムはこのままベラとベロの3人で穏やかな時間を過ごせればいいって思ってるのかな、とも思うし。早く来週のが観たーい!