スマステ・じゃにーず特集

スマステを見た。たのきん以降どの曲がきても口ずさめてしまった。アンチだったはずの光ゲンジだって曲はほぼ知ってる。*1口ずさんで甘酸っぱく今でもドキドキするのはやっぱりマッチの曲。そこから間が空いてスマ曲。時代ごとに、その年齢ごとの思いとともに私の生活の中には確実に「アイドル」が存在していたんだなあ、と思う。

最近ラジオを聴いたりごーいんぐを見たりして、かめの素っぽい部分を「かわいいな」と思う。私はかめの可愛い部分が好きだ。ラジオには目から入る情報がないので自分の頭の中のイメージを損なわず好きな部分を強調させて受け取ることができる。だからかめらじの「俺かめなし」と残念がせめぎあっている感じを残念多めで受け取る。ごーいんぐでは永遠の野球少年だ。結果、かめのことがとても愛しくなる。
でもかめが「俺かめなし」である努力をやめてしまったらかめへの関心は薄れてしまう気がする。可愛いねいい子だねだけで終わってしまうかめなんて、と思う。屈託なく笑うかめが大好きなのに。その笑顔を守ってあげたいといつも思うのに。「俺かめなし」で居続けることは苦しいこともたくさんあるだろう。それでも、私はかめには「俺かめなし」で居続けて欲しいとも思うのだ。
この矛盾した感情は大人になった今だからこそ、アイドルに対して抱くのかも知れない。大人、というよりは親になった今、かも。好きなことして笑ってる姿は確かに愛しくて包んであげたくなるけれどそれじゃ母性を満たしてくれるだけだ。でもきっと私がアイドルに求めているのはそこではない。もっと痺れるような刺激的な非日常。普段はそうやって勝手に自分の好きな部分だけ増幅させて楽しんでおきながら、いざ目の前にしたときに圧倒的に遠いのだ、と思わされる存在感。一気に突き放され、そしてまた追いたくなるような艶。きらっきらの燐粉を振りまいて近寄るものすべてを中毒にしてしまう美しい毒蛾のようであってほしいのだ、と思う。

これはかめだけじゃなく他のカツンメンバーに対しても思う。それぞれの「個」を知ればみんなやんちゃな男子だったり普通の学生みたいだったりするのに、コンサートで見る彼らは容赦なく私の命を奪ってくれる。ただ、じんくんに対してはいつの頃からか「彼が好きな歌を歌って、そして笑ってくれていたらいいんだ」と思うことが多かった。それくらい彼の歌う声が好きだった。でもじんくんはカツンの中にいると天性のごとく艶めいた。その存在感が、私を虜にした。今、好きな歌を楽しそうに歌うじんくんしか見ていない。それでいいんだ、と思っていた姿なのに寂しいのは、そこにないものが私の一番欲しいものだからなのかなあ、と思う。じんくんのことが大好きな皆のレポを見て寂しいのは、だから私のわがままだ。

*1:さすがに勢いがなくなってきた解散前の曲は怪しいけど