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ちょっとウエットすぎたので諸々ドライにまとめておこう。

  • カツンについて「5人のカツン」だとか「残された5人」という表現にうんざり。カツンは人数で語るもんじゃないし誰かが一部だけかっさらえるものではない。
  • 私は強いカツンが大好きだし、そんなに簡単に近寄れないカツンが大好きだ。そうやって無敵の姿でこちらに向かってくるのに決して拒んでいないその優しさが好きだ。
  • そんな「私の好きなカツン」をインテックス大阪で全身で感じた。だから私はまだまだカツンから離れられない。
  • 「方向性の違い」について。私は昨年末に見た滝×光一さんの「ぼくらの時代」の中で話されていたジャニーさんの教え「挨拶がきちんとできることといった至ってシンプルなこと」というのが非常に印象深い。根っこが同じである限りジャニーズから離れてしまうことはないだろう。じんくんの音楽の嗜好はあれど、それが「方向性」という言葉で今回の事態に至ったのではないと思う。私が2月に見た友仁で感じた「このままこの楽しい世界に彼一人置いておくことはできない」という気持ち、それが「方向性」なのではないかと私は思いたい。彼は自分のやりたいことを一から作り上げていく楽しさを知ってしまった。その楽しさを知ってしまえば、誰かにプロデュースされた作品では鈍い輝きしか放てないように思う。そのことも彼は知っているのだと思う(もしくは、感覚的にわかっているだろう)。また、「じんくんの世界をそのままカツンに持ち込んでいくことは難しいだろうし、じんくんもそれを望んでいるわけでもなさそうだし、カツンに持ち込めば良くなるかというのも違う気がする」と感じたのも事実で、彼はそれを無理にカツンに持ち込むことの無意味さもわかっているのではないか。逆にカツンもまた、「プロデュースされた作品を魅せる」ことにかけて、今までとは一段上のステージを目指しているように見える。その片鱗が先日の少クラのN.M.Pから感じられて心底痺れた。プロデュースされた作品を曇らせてしまうか、輝かせるのか。そこに今は、歩み寄れない溝があるような気がする。
  • ただし「今は」だと思いたい。自分の世界の楽しさをひととおり知り尽くせば、また違ったスタンスで他人の作品にも向き合えるはず。それがプロだと思う。
  • 今見るものとしてリアフェコンを選んだんだけど、いやーじんくん笑わないなwww声にも苛立ち出まくり。なのに最後にあんなにのびやかにウイルビーを歌い上げて、この人が(当時留学中)戻ってこないわけないと思った。どこにいようと、彼が歌うことをやめないならそれでいい、私の彼に対する気持ちの原点はそれです。