思考はループする

こんなタイトルの日記の冒頭になんですけど、きょうはたぐちくんの誕生日ではないですか(・∀・)ネガりそうになったらたぐちくんの笑顔を思い出すといい。コンサートでなかなかのってけない時でも、全力ではりきっているたぐちくんを見ると「コンサートなんだ」と実感できます。なんだかんだで感謝してやまない存在です。

ネガティブというよりも考えすぎなのかも知れません(´ω`)昨日「オリスタ読んでなんだかなーな部分が」というメールを友人に送ったら、彼女はまだ読んでいなかったので、「読んだら『ああここか!』と思うだろうから是非メールくれ」と言っておいたのです。すると今日友人が「読んだ!ここだね」とまったく違うところを指してきて、なんだかなーと思った部分については(事前に先入観をもたせては悪いので言っていなかった)むしろ高評価だったという結末。テキストだもんね、やはり読み手によって受け取り方はなんぼでもあるよね。結局そこをどう受け取るのかなんて自分次第なんだということです。
ぼよんぼよんとしたじんくんの演技論のようなものを読んで、今日はごくせんとあねごを見返したんですが、彼が言うやり方がこの結果であり、それに自分が満足しているのだからいいんだ、と思いました。私には毛頭どうこう言うつもりもないけど。むしろその場でここまで創り上げてるんだということに驚く。はやとも黒沢くんも大げさなところがなくて、それって普段のまんまなんじゃ・・・なんて声も聞くけれど、だって私ら普段のじんくんなんて知らんし。みろくはちょっと違う気もするけど(原作があるから)。黒沢くんが一生懸命喋ってるけどこれ喋ってる本人はあんまりわかってなかったんやなと思って見ると笑えるねwww
別に私は擬似恋愛の対象として見ているのでもないから、その人がどんな人であれ自分にとってエキサイティングなパフォーマンスを見せてくれることに対して応援する。ただ、じゃにーずというのはある種特別で、意識的あるいは無意識のうちに、エキサイティングに加えて萌え記号的な部分をそこに求めて見ているところがある。だってそれが要らないなら他にもダンスうまい人とか歌のうまい人なんているし。本能的な部分での萌えるところをうまいこと刺激してもらいたい。心の恋人でいてくれなんて思ってはいないのに、この人はこんな人だろうと勝手に想像しては、雑誌の言葉やテレビの言葉から何かを得ようとするのはなぜなんだろう。これについて考え出すとどうも思考がループして未だ結論に達しない。結論に達する前に「ていうかテレビの中のひとに対して何を大真面目に考えてんの」と、ループした思考は放棄される。いいじゃない萌えられて楽しめたら。けれど考えることはきっと無駄ではない。