「THIS IS IT」とじんくんのソロ

詳細を見ようと思ってJねっとに行ったら「コンサート」じゃなくて「舞台」にカテゴライズされてるんですね。そしておじいちゃん考案?なロゴがばーーーーん!!!これは・・・じんくんのソロコーナー的コンセプトで2時間半、というふうに考えないほうがいいのかな。
おじいちゃんいわく「セリーヌ・ディオンの米ラスベガスでの定期公演やマイケル・ジャクソンさんが死の直前まで準備していたロンドンでの連続コンサートなどの『スターショー』」がコンセプトとな。奇遇!ちょうど昨日マイケル観てきて、「あのレベルのショーを出来るのは誰だ」という話になって、私は即座にこないだのドリボのロスマイを思い出したわけだけど。いうなればマイケルのショーは全編がロスマイ、ってな意気込みなの。もしあのレベルの本気だけのパフォーマンスをかつんが見せてくれたら、と想像してちょっとぶるっときた。ジャニにおいては何らかの遊び要素が加えられるのはデフォだけど。おじいちゃんはマイケルとも懇意だったというから影響は少なからず受けているんだと思う。そこにオリジナルのおじいちゃんテイストを加えるから若干残念なことになるんだよねwしかしおじいちゃんがあのショーをオマージュしようとしているのは今の私にとって見逃しがたい事実。あとはどこまでおじいちゃんテイストが加味されるか・・・うーん。悩む。東京ってたやすく行ける場所じゃないんですよね主婦にはね(´・ω・`)ひとりで行こうかとも思うけど、うちのコドモ、ほんとうにじんくんが好きなんですよね。あの留学の時も、あの時まだ小学校低学年だったのに泣いたからね。そんなコドモを置いて自分ひとりは行けないよなー。

ついでなので「THIS IS IT」の感想もちょっとまじめに書いてみる。




THIS IS IT」は映画というよりはライブフィルムに近く、ライブのメイキングを見ているような感じだった。プロジェクト自体が壮大なスケールなのでメイキングといえども普通のライブ並み、いやそれ以上に豪華。そこにマイケルやスタッフの「ショー」に対する想いが合わさって、エンターテインメントを創り上げる、ということの素晴らしさ難しさ誇り高さがひしひしと伝わってきた。
オープニングをこうしよう、ああしよう、と考えてアイデアを出すマイケル。そしてそのアイデアがCGで具体化される。そのCGを見るだけで、あの、コンサートが始まるときの高揚感が一気に襲ってくる。あとはもうコンサート会場にいるみたいで、映画だけど1曲ごとに拍手を送りたくなる。それくらい1曲1曲に妥協がない。驚くべきはこれが「リハーサル」だということ、そして悲しむべきはこの妥協なきリハーサルに「本番」が訪れなかったのだということ。それはつまり、「コンサート」というものが、演者、スタッフだけの手によって完成されるんじゃなくて、観客の存在によって、観客の拍手によって本当の完成形を見せるんだ、ということに気がついた。
マイケルという人は、天性のパフォーマーでありクリエーターでありプロデューサーだった。どれも努力の上、たくさんの人の支えの上に成り立つものだけど、だれよりもそれを自覚しているのだな、と感じた。そして「天性」こればかりはどうしようもない。天性の備わった人が感謝を忘れないとき、そこには最高のものが生まれる。感謝は愛を生み、愛は目に見えるもの以上の波動を生み出す。波動は観る者の心をゆさぶり、観る者の奥で眠っていたさまざまな感情を揺さぶり、そうして揺さぶられた感情が集まって波となってステージへと還る。還るところのないショーだった、というのが、悲しい。

そういう点では、じんくんが言う「客席を巻き込んでのショー」というのは、よりアグレッシブな完成形を目指す、ということになると思う。願わくばその完成形の一端を担いたい。特に私は、じんくんの生み出すパフォーマンスに平伏したい、と常々思うどM系ファンなのでね。でもどう考えても座席数<<<<<<希望者だよ。あとどうして日生ロングランにこだわるんだろうな。その体力を地方にも分散させてくれたらいいのにな。