ひさしぶり

どんだけ放置しているか自分でもちょっとわかってました。たぶん9月に入って全然書いてないやろなーと思ったら1日に記事を送信しているではないか。いろいろなことがあって全部今さらなんだけど、まあちょっとずつだけ書き残してみます。

  • ブザビ

ドラマはあれからも順調に見てますよ^^むしろがっつりはまっておる^^軽井沢−東京間で今生の別れみたいな涙を流していた二人だけど、あれ精神的には東京と上海くらいな距離感なのかな。お金出して行こうと思えばわりと行きやすい距離だけど、なんか離れちゃったな、国が離れちゃったな、みたいな精神的距離感がお互いに(ていうか女側に実感としてあって、男はその実感をなんとなく感じ取っているから同じように感じてしまうというのが)あるんだろうね。莉子の夢に対する思い入れの浅さなのか、それとも莉子が自分のことより男のことを優先する性質の女子だったのか、どっちにしろあそこで軽井沢を易々と捨ててしまうのは、いくら菜月のことが脳裏をかすめたにしろ良くないわー。自分が後者(男のことを優先する性質の女子)だったので過去の自分を見ているみたいでいらっとする。ってどんだけ感情移入してるのよwww

最終回前に俄然面白い。竜崎と蒼井先生が「特殊」な人のはずなのに周りの人間がどれも皆エゴ丸出しで、特殊な二人がいちばんまとも、という皮肉。竜崎ってものすごくクールなんだけど感情をばっと表出する瞬間がある。それが滝様の演技だと抑え気味なのがちょっとだけ残念かなー。そんな竜崎の感情の起伏を脳内で補って見てます。ところで竜崎は過剰な色気は嫌いで熟女好きなのかしら。そんなところも萌える^^

  • 母の贈物

向田邦子の原作って幾度と無くスペシャルドラマ化されてきたけれど今まで見ることがなかった。今回ゆち主演なので見たけど、舞台が昭和、表現方法が文学的というだけで内容は意外と泥泥してるんですね。子を棄てた母だのこっそり付き合ってた男がいる母だの、台詞が文学的でなければなんという泥沼シチュエイション。ゆちは昭和が似合う。そして真摯に向き合う感じがこの原作の登場人物の特性ともマッチしていて、なんかすごいなーゆち、と思った。すごいけど今後渡鬼の植草せんぱいのポジションが世襲されちゃうんじゃないかとも思う。その世襲は私としてはあんまり望まないなー。ところであのドラマに出てきた家財道具が自分の子どものころにあった諸々でした。木箱に入ったアイロンとかあったあった。

  • 写真集

理由はないけどとにかく強そうで無敵っぽいかつんは最高だ。ゴールデンタイムのテレビに出ていろんなことに挑戦して「敵なし」じゃなくて「みんな味方だよ」な空気を醸し出したらきっともっと世間に広く浸透して露出も増えたりするんだろうけど私の求めているのはこの無敵っぽいところなので、露出が増えなくても構わないのである。受け入れてくれようと両手を広げて微笑まれるんじゃなくて近寄ったら蹴飛ばされて唇の端だけで微笑まれて「それでも着いて来るか」と一瞬優しく囁かれるほうがいいのです。どMですみません。とにかく精神的に何度も蹴飛ばしてくれる写真集、ということです。

  • その他

芸能人はどうして海外旅行の時におかしな鞄を持っていくのか、という疑問。私は新婚旅行の時に当時大好きだった俳優T氏と終始同じ旅程だったという嬉し哀しい経験があるのですが、その時もT氏はめちゃくちゃかっこいいのに持っていた鞄がどうしようもなくズタ袋みたいなものだったことに驚きと疑問を禁じえなかった。あの日の疑問再び。


いろんなことを小さく小さく日々思ってはいるものの、それを言葉にして書くには至らないのはヲタ活へのエネルギーが欠けているのかもしれません。欠けているというより日々の生活が割とエネルギーを要するのでそっちにまで回らない。ヲタ活による活力が日々の生活をよりパワフルにする、という時期では今は無い。日々の生活をただ消費している、という感じか。自転車のペダルを思い切り漕いで漕いで漕ぎまくってきた分、足をひとたび離せば惰性でただぐるぐる回っている。今はこの惰性に身を任せている時期なのかも。そのうち回転しなくなったらまた漕ぎ出さなければならないので、その時はまた萌えのパワーを欲するはず。結局私がペダルを踏むためには萌えの力しかない。ドリボあたりでまたがしがし踏めるかな。でも実は舞台の不完全燃焼なあの感じが苦手。今年はアンダルシア無いみたいでますますテンション下がってるんですけど・・・そんなテンションの中、ふと我に帰って「ドリボの回数×12000円」を計算してしまったのでリアルに自分の財布の紐の緩さにへこんだりしてます。ま、そんなん言いながらも実際舞台で1582を観たら掌を返したかのごとく「舞台最高!」なんてここに書くからね^^