第2章ってどういうことだろう

仕事中や生活の中でふとしたときにカツンのことを考えて胸を痛めているいい大人ですこんばんは。アホかと自分でも思うけどおたくなんだからしかたないじゃない、ということにしています。本来は楽しくなるためのおたく活動のはずなのにこんなにぐるぐる考えるのは何か違うよなあ。脳内整理のために続きに吐き出してみます。





第2章始動!といつぞや煽られたはずが3月で冠なくなるとかコンサートのお知らせも来る気配なしとか、ほんまに第2章ってなんやねん。TVの露出が減るのならいっそコンサート中心のグループになってみるのもいいんじゃない?なんて思ってます。現場叩き上げ主義。そのかわり財布に優しいお値段の公演で、たくさんの人が見られるように何回もだよ。くだらない噂を気にしている暇などないくらい「俺たちを見ろ!」と煽ってくれたら。毎月「声出せないから命が無いかも」って心配するのも素敵です。
もしくはじんくんのソロを皮切りに、ソロあるいは組み合わせでの個人活動を充実させる時期に入るのだろうか、とも思いました。それは決してカツンでいることに意味が無いのではなく、むしろカツンは「ホーム」と言う人がいるように、ホームに生き生きと帰ってくるためのソロ活動。ちょっと前までは「ソロでやることをカツンに還元してくれたら」などと思っていたんですが、先日のじんくんを見て「それ(還元)は無いな」とちょっと考えを改めた。還元したからといってよりいいものになるとは限らない。「やりたいこと」がある人の、その「やりたいこと」の色が強すぎて。もちろんカツンメンは全員スキルも高いしそれなりに大人になっておるのでその強い個性を受け入れようとは努力するだろうけど、誰かが「努力」する時点でちょっと違うような気がする*1。似たような感性のメンバーがそれぞれ存在するので、そこでタッグを組んでコンサートをしたり舞台をしたり、あるいはTVのバラエティなりドラマなりでがんばってみたりしたらどうかしら。そうやって自分のしたいことを楽しんで*2、その「勢い」だけをカツンに持ち帰って、「勢い」×6、ではなくて「勢い」の6乗、のエネルギーのかたまりをぶつけてくれたらいい。課題は「勢いの6乗」をどういう形で表現していくか、だけど、そこは既存の曲の範疇を無理に脱しなくてもいい(私は)。ドンチューとかレスキューとか、ああいう「カツンにしか歌えない」路線はこれからもいっぱい聴きたいし。
みんなそれぞれ大人になって、ジャニーズというものの捉え方にも違いがあって、好きなことややりたいことの幅も広がる。いままでの「ちょっと不良っぽいグループ」というイメージの幅からはみ出す人も出てくる。はみ出している部分を意識してそれを自分の伸び代に変えようとする人もいれば、はみだしてしまうことを窮屈に感じてしまう人もいる。そもそもプライドある大人をひとくくりのイメージで売っていくことに無理があるんだよね。そこを否定したらジャニーズじゃない、と思われるかも知れないけれど、じゃにーさんの懐の中で、じゃにーさんの教えである「挨拶がきちんとできること」を守ってなにかを届けようとする限り彼らはジャニーズのひとなんだろう、とぼんやり思います。そして求める人がいる限りカツンはなくならない。あーだからこんなことぐだぐだ考えなくて済むように早くコンサート*3をみ・せ・て><

*1:何かの雑誌でじんくんが「カツンでは意見出さない」みたいなこと言ってたけど、それはここに起因するんじゃないかな。やる気がないんじゃなくて、誰かに無理をさせたりするのは違うんだって彼は思うんじゃないだろうか。

*2:こうなってくると、ぴあEXで言っているように、かめたんがしたいことというのが何かという話になるのだけれど。かめが自分のわがままを貫いたらどうなるのか見てみたい。

*3:もちろんコンサートそのものも必要だけど、日雇い労働者の私としては「チケ代」が労働意欲にもつながるのでね^^