1ポンドの福音#5

何も全部のドラマが訴えかけるモノを持っている必要は無いし、疲れた週末の夜に何も考えずに笑って萌えて見られるドラマがあってもいいんじゃないか、と思っております。そういう意味で「笑って萌えて」で4回目ぐらいまではまぁ楽しめたのですけど。

今回、前半30分くらいのドタバタ劇がどうにもこうにも辛かった。もちろん萌えポイントはいっぱいありました。枯れ草の中から出てきた時には伊賀野カバ丸かと思ったもん。チョコレートにニッコニコする顔なんかも「食べたろか!」なくらい可愛かったもん。でも、なんだかなー。笑わせ方が「昭和」。原作が昭和から始まったものなんだから仕方ないけど、「ヤンヤン歌うスタジオ」のコントドラマを見ているみたいだった。イライラしていることを指摘されたアンジェラの目の前に大量のミカンの皮、とか、リング上で取っ組み合いを始めた男共を会長がとっちめた後に、皆がくの字になって倒れてるとか。こういうのが逆に新しいんじゃないよねー?

漫画ならそういう描写は「間」を表すのに効果的*1なのだけど、ドラマでやられると結構寒い。同じ漫画原作で「有閑」のことを考えてみると、ドタバタしていたものの、現実ではありえないような世界でバタバタしているから「ありえねー」で笑えたのであって、こちらはごく日常的な世界でバタバタしているから、ただ単にウルサイ、そして寒い感じに見えるのかもしれない。

救いはいつも、耕作の「真面目チャンネル」にスイッチが入ってからにある。今回は修道院長の言葉を聞いて、ボクシングという世界で戦うこと、人を愛することの重みを知ってから。アンジェラへの想いのたけをぶつけるシーンは、バカだけどまっすぐで、よかった。「バカだけど、まっすぐ」これこそが耕作の魅力であるし、かめたんは実にうまくなりきっていると思うんだけどな。だからこういう細やかな描写の中に、笑えたりバカだったり、男共がワーワーしているのをちょこちょこと挟み込めばいいんだよー。今のままでは「ワーワー>まじめ」で、大人の鑑賞にはちょっと堪えない。

悲しいかなドラマの出来が「視聴率」という数字で評価されてしまう。数字だけで語られてはこの亀梨和也という人の頑張りは全く評価されない、どころかむしろ「数字の取れない男」などとも言われてしまう。膝を抱いてちんまり考え込む姿に、直線バカの苦悩は表れていたのに。

*1:そして、高橋留美子の世界はこういう間が多いと思う