うざい話は今日でおしまい。

アンテナ界隈でもぼつぼつ出てるバンジーの話。考えるままに書いてたらとんでもなくうざい話になったのでたたみます。





今回は「ちっさく飛んだ」、結果あのような編集になった。もし、「飛ばなかった」らそれなりの編集(たぶん先週の高飛び込みで「動かんぞ!」と言った10mのところをもっと引っ張る)をしていただろうし、初日に飛んだら飛んだで、それはそれは感動的な編集をしただろう。それがテレビ。そのへんを承知の上で、テレビを観る必要がある。

東京ドームであの場にいて、スクリーンにあのポンデライオンみたいのが映った時、それまで「バンジー企画ツマンネ」と思ってたのに「あ!番組の一部に私が今組み込まれてる!」って、明らかに「ツマンネ」とは違うテンションになった。結局私はテレビを見る側の人間なので、向こう側に行った時にわかりやすくミーハー精神が現れた。けれど「ツマンネ」と思い続けてきた企画だし、ゆちが嫌がってるのもそこはかとなくアピられていたから、カウントダウンには参加しなかった。結果、心から楽しむことも、かといって完全に非難することもできない気まずい時間が流れた。コンサートを楽しむ、という気持ちを分断した、という点では私はあの企画は要らなかったなと思う。

しかしテレビで先週から合わせて放送されて、それなりの編集を経て目の前に出されたものは、「ツマンネ」と切り捨てることのできるものではなく、公園でほんっとにしょぼい高さから練習したり、「1分間の高イイ話」なんてひっどいパクリを聞かせたり、これはひょっとして全力でくだらないことをしようとしているのではないかとさえ思えた。そもそも私は、ゆちがめっちゃ計算して番組を盛り上げるために自分が損な役回り*1を引き受けてるんじゃないかと思うことがある。「イジり」という手法は、お笑い番組全盛期である現在、テレビの中では市民権を得ている。一昔前なら「イジメを助長する」なんて即クレームが来て、次回の放送で謝罪することもあっただろう。もしくはクレームが来ても来てもそれを放送し続け、「PTAが最も見せたくない番組」と呼ばれるか。しかし今はそのへんの線引きが昔より緩やかになったと思う。それはイジられる側が、暗黙の了解として「この人はイジられ役だ」と見る側に認識されているからである。ちょっと話が逸れたけど、ゆっちがこの役を引き受けた、という前提で見れば、「無理」の即答とか「動かんぞ!」とかいう切り返しはその「全力でくだらない」をきちんと楽しいものにしていた。

それがバンジー本編で、本人のリアルな表情=CCDカメラの映像、を見てしまうと「全力でくだらない企画」以上に「引き受けてしまったゆちの本心」の方が見えて、またなんともいたたまれない気持ちになった。あの表情も「引き受けた演技」だとしたら相当の演技派だけどね。たぶん芸人もあつあつのおでんを頬張る直前はあんな顔なんだろう。でもふだんその部分は見ないもん。今回はその「見ないところ」を見ちゃったのが気まずい。ものすごーく高いところに上がったな、というのを現場で見たから、あの時あんな顔だったんだ・・・と思うと気まずい。ゆちの目から見た地上(=観客)の光景が映っていたのを見て、「ああこんな風に見えるんだな」と思った。あの場で私は「気の毒だ」くらいの気持ちでいるのが精一杯だったけど、テレビのこっち側(=参加する側)に来たことを自覚した以上、もっと応援してあげたらよかったんじゃないかなーなんて後悔した。

とにかくゆっちは飛んで、大阪はバンジーがなくなって、コンサートの流れはそれほど分断されず、まぁ大阪は2度目3度目ということがあったとしても東京よりは気持ちをばっさり委ねて楽しめた気がする。あの大きなドームの中でふわふわしてしまった私の気持ち。またいつか、取り返しに行こうと思うよ。

明日、明後日のあと2日。カツンも、ヲタの皆さんも、思いっきりドームを楽しむことができるといいな。って、私がそんなこと言わなくても、絶対楽しいよね。だってろくーんのパワーも、ヲタのパワーもすごいんだし!

*1:高いところが苦手、ということは、わかる。けど本当は、そんなにビビりじゃないんじゃないか、とも思うことがある。要するに芸人魂のように、イジられ役を買って出ているんじゃないかしら、と思う。